松戸混声合唱団 Matsudo Mixed Chorus

― 演奏会 ―

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― 定期演奏会の記録 ―

2015年10月11日(日)

午後2時 開演

森のホール21・大ホール

松戸混声合唱団第18回定期演奏会

モーツァルト 名曲アラカルト
W.A.モーツァルト ハ短調ミサ(K427)

指揮:横山 和彦

管弦楽:チャッピーフィルハーモニーオーケストラ

ソプラノ:菅 英三子 ソプラノ:平山 莉奈(代演)

テノール:松原 友 バス:石崎 秀和

オルガン:奈良 英子

合唱:松戸混声合唱団

■主催:松戸混声合唱団 ■共催:(公財)松戸市文化振興財団

■後援:松戸市教育委員会/千葉県合唱連盟/松戸市合唱連盟/松戸市音楽協会

プログラム・曲目紹介

モーツァルト 名曲アラカルト(布施 美子 編曲)

  1. トルコ行進曲〈Bird Eyes 鳥になった瞳〉(混声合唱)
  2. オペラ《フィガロの結婚》から 「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」(男声合唱)
  3. オペラ《フィガロの結婚》から 「恋とはどんなものかしら」(女声合唱)
  4. オペラ《魔笛》から 「おいらは鳥刺し」(バス独唱:石崎 秀和)
  5. オペラ《魔笛》から 「なんと美しい絵姿」(テノール独唱:松原 友)
  6. オペラ《魔笛》から 「パパゲーノとパパゲーナ」(混声合唱)

W.A. モーツァルト ハ短調ミサ(K427)

Kyrie あわれみの讃歌

  • Kyrie eleison、Christe eleison 主よ、あわれみたまえ
    《合唱とソプラノⅠ独唱》

Gloria 栄光の讃歌

  • Gloria in excelsis Deo 天のいと高きところには神に栄光  《合唱》
  • Laudamus te われらは主をたたえ 《ソプラノⅡ独唱》
  • Gratias agimus tibi 主の大いなる栄光のゆえに 《5声合唱》
  • Domine Deus 神なる主、天の王 《ソプラノⅠ・Ⅱの二重唱》
  • Qui tollis 世の罪を除きたもう主よ 《8声二重合唱》
  • Quoniam tu solus 主のみ聖なり 《ソプラノⅠ・Ⅱ、テノールの三重唱》
  • Jesu Christe イエス・キリストよ 《合唱》
  • Cum Sancto spiritu 聖霊とともに、神の栄光 《合唱(二重フーガ)》

Credo 信仰宣言

  • Credo in unum Deum われは信ず、唯一の神 《5声合唱》
  • Et incarnatus est 聖霊によりて、おとめマリアより 《ソプラノⅠ独唱》

Sanctus 感謝の讃歌

  • 聖なるかな、聖なるかな 《8声二重合唱》

Benedictus 感謝の讃歌(続き)

  • ほむべきかな、天のいと高きところにホザンナ
    《ソプラノⅠ・Ⅱ、テノール、バスの四重唱、8声二重合唱》

モーツァルト 名曲アラカルト

トルコ行進曲 〈Bird Eyes 鳥になった瞳〉(混声合唱)

  • 作詞 麻生 圭子
ダバダバ ダバダバ シャバダバ ダバダバ ダ
つむじ風をつかまえ空を飛ぶ、羽ばたく旅景色は地図になる
人は遠い昔、鳥かもしれないねえ こんなに胸の奥、熱くなる
もっと、もっと高く舞い上がろう、つらい辛い愛忘れるため。
きいっと、きいっと幸せになれるの、過ぎた夢忘れたなら
タカタカ タカタカ タカタカ タ 小さな窓に明かりが灯るよ
ダバダバ ダバダバ シャバダバ ダバダバ ダ 誰かがきっと私を待ってる。
こんなに生きる勇気が湧くよ
さあ! 今、夜明けに照らされて、明日を探す今、翼を傾けて、
さあ、地上へと今、今、降りて行くよ、Dang! Dang!

原曲はモーツァルトのピアノ・ソナタK.331《トルコ行進曲付き》である。トルコ軍楽隊風リズムで「わくわくさせるような太鼓とシンバルのけたたましさ」、「過度に飾り立てた服装の口髭を生やしたトルコ兵」が「ヨーロッパの町の大通りを行進している」という、 モーツァルトの思い浮かべた光景が描かれている。(モーツァルト研究学者ニール・ザスロー著述)

本日の演奏曲《トルコ行進曲》は、その旋律を編曲し、日本の作詞家が上記の歌詞「Bird Eyes 鳥になった瞳」をつけた作品である。生き生きスキャット、わくわくファンタジー宇宙空間の夢旅のようだ。

(文・神谷一夫)

オペラ《フィガロの結婚》から
フィガロのアリア「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」(男声合唱)

もはや飛べまいこの蝶々、夜も昼も忘れて、
花より花へ遊ぶ、粋ないたずら者
羽根も取り上げられた、伊達な髪も結えないぞ
粋な身なりも出来ぬ、頬紅もさせないぞ
さて今日から軍人、口髭生やすのだ、鉄砲肩に、サーベル腰に、
それおいっちに、鉄兜、勇ましく、進め
だけど貧乏、いつも貧乏、いつも貧乏。
踊りの代わりに、泥の中を進軍、野超え山を超え、
雪の日、雨の日、ラッパは轟き、火薬は炸裂、
耳をば突き刺す、爆発の音。
ケルビーノさらばよ、勇ましく行け、勇ましく行け!

オペラ《フィガロの結婚》から
ケルビーノのアリア「恋とはどんなものかしら」(女声合唱)

恋の悩み知る君よ、この胸に燃ゆるもの
そは真の恋なれや、この悩み訝しく、この慄き故ありや
憧れに身を焦がし、胸の痛みに耐えかねつ、熱き血潮、
火と燃えて、この悩み訝しく、この慄き故ありや
憧れに身を焦がし、胸の痛みに耐えかねつ、熱き血潮
火と燃えて、また何時しか凍りゆく
遥か遠き幸なれど、ただ空しく追い求め、
いつ知らず吐息し、故もなく慄く、
されど尚も心に喜びありなど 恋の悩み知る君よ、
この胸に燃ゆるもの そは真の恋なれや、
そは真の恋なれや

オペラ《魔笛》から
パパゲーノのアリア「おいらは鳥刺し」(バス独唱)

おいらは鳥刺し、いつでも陽気に、
ハイザ、ホプササ!
おいらが鳥刺しとはみんな知ってる
老いも若きも、国中のこらず。
おびき寄せるの、お手のもの、
笛も名人、だからいつも陽気なのさ。
鳥はみんなおいらのもの。
(笛を吹く)
娘っ子を捕える網がほしいよ、
1ダースほど捕まえてみたいんだ!
娘っ子は皆んなおいらのものなら、
お砂糖とたんまり換えたいね、
おいらが一番好きな子にゃお砂糖をやって、
優しくキスしてもらう、
その子と夫婦になったら、
その子は俺の傍で眠り、
子供のように寝かしつけてやるんだ。

オペラ《魔笛》から
タミーノのアリア「なんと美しい絵姿」(テノール独唱)

この肖像はあまりにも美しい。
まだ誰も眼にしたことがないほど!
思うにこの神々しい姿は、
私の心を新しい感動で満たす。
ここで炎のように燃えているのが分かる。
この感情は恋なのか?
ああ、そうだ!これこそ愛なのだ
このひとに会うことができたら
私の目の前、いるのだったなら!
私は熱し、穢れのない身となるだろう。
私はこのひとを恍惚として、
この熱い胸に押しつけるだろう。
その時、このひとは
永遠に私のものとなるのだ。

オペラ《魔笛》から
二重唱「パパゲーノとパパゲーナ」(混声合唱)

♪パパパ パパパパ ゲーナ//
♪パパパ パパパパ ゲーノ
さあ、もう俺のものだ // ああ、お前のものよ
それじゃ俺さまの女房//
お前の女房 可愛い女房、
これは嬉しい、嬉しい
子供をわれ等に// 子供をわれ等に
神さま われ等にお恵み下さい子供
小さな可愛らしい子供// 子供
はーい、小さなパパゲノ// パパゲナ
さあー、も一人パパゲノ// お次にパパゲナ
これが本当の幸せ// 本当の幸せ
沢山のパパパパゲーノ// パパゲーナ
親の喜びよ// 親の喜びよ
これが本当の幸せ// 本当の幸せ
親の喜びよ// 親の喜びよ
パパパパゲーノ! // パパパパゲーナ!

モーツァルト作曲 《ハ短調ミサ曲》いと高きところに栄光、地には平和を、荘厳な絵画的宇宙

2008年12月のこと、日本人がノーベル物理学賞(3名)とノーベル化学賞(1名)を受賞したことで日本国中がその喜びに沸いた。現地では、ノーベル賞授与式典が挙行されたストックホルム・コンサートホールにノーベル賞受賞者をロイヤル・ボックスに迎え「祝賀コンサート」が開催され、モーツァルト作曲《ハ短調ミサ曲》K.427(417a)が演奏された。その《ハ短調ミサ曲》とは、今から232年前の秋、ザルツブルク聖ペテロ大修道院付属教会において、モーツァルト自らの指揮で初演された。

松戸混声合唱団が本日演奏するヘルムート・エーダー版楽譜の序文には、このモーツァルトのハ短調の《大ミサ》曲は《未完草稿》に留まっていると述べている。

この世界の名曲、《ハ短調ミサ曲》K.427(417a)は〈ミサ通常文〉の「クレード」の文章が後半部分、「ア二ュス・デイ」は全面的に省略されていたことから《未完の曲》と言われ、演奏面ではオーケストラ編成が通常より大きく、合唱が混声5声や8声二重合唱など大規模なことから《大ミサ》と言われている。

この《ハ短調ミサ曲》作曲の動機、誕生由来を探索する。初演の約2年前、モーツァルトはコロレード大司教と《不和による大口論》が発端で、大司教の宮廷音楽家の職務を放棄、故郷ザルツブルクも捨て、ヴィーンに移住、宮廷音楽家でも貴族雇いの音楽家でもない、自由な身分となる。父親レーオポルトの猛烈な反対を押し切ってのことであった。その彼の独断専行が、《ハ短調ミサ曲》誕生に導かれる歴史が動き始めたといえよう。

その経過は、モーツァルトが父親に宛てた日常を綴った書簡に克明に記録されている。モーツァルト書簡全集(白水社)の語録を引用して、ドラマ、舞台を設定したとすれば第一幕「モーツァルト、ヴィーンの反乱」。第二幕「コンスタンツェとの結婚契約」。第三幕「ザルツブルク里帰りと奉納《誓願ミサ》」となろうか。

第一幕「モーツァルト、ヴィーンの反乱」

『親愛なお父さん!僕はまだ腹わたが煮えくり返っています』『あいつ(コロレード大司教)は、僕に面と向かって、屈辱の言葉で、お前みたいな、だらしない若造。勤めを疎かにする奴。《ろくでなし、がき、ばか》』、『こんな《哀れな小僧っ子》にもう用がない』(1781年6月9日付書簡)。

『アルコ伯爵は僕を《無礼者》とか呼ばわりし、《お尻に足蹴りをくわせる》など。僕の名誉は、僕にとって何ものにも優るものです』(1781年6月13日付書簡)。

モーツァルトにとって、天才の特別待遇ではなく、召使い扱いされ、芸術家としての誇りを傷つけられたのだ。

しかし当時の社会的常識論から考察すると、大司教が、わずか25 歳の若きモーツァルトに対して、当然な要求もし、強制もでき、臣従関係からして、モーツァルトの《大司教への反逆》は全く理解できないことであるが。

このような《反抗・決裂》が因で、モーツァルトは《ヴィーン定住》を決意した。このとき彼の運命が決定的に転換したのである。

第二幕「コンスタンツェとの結婚契約」

モーツァルトはマンハイムで知り合ったヴェーバー家の次女アロイージアに猛烈な片想いしていた。ヴェーバー家はその後ヴィーンに転居し母親が貸間業を営んでいた。モーツァルトは《ヴィーン定住》決意の結果、ヴェーバー家の貸間へ転がり込んだのだ。

そのことがヴェーバー家の3女コンスタンツェと親しくなるきっかけとなった。

『親愛なお父さん!僕が、あの家に住んで、彼女の優しい気づかいや世話を受けているうちに、愛が芽生えたのです』

コンスタンツェ・ヴェーバー(19歳)との結婚契約が結ばれ、厳格な父の同意が得られぬまま、1782年8月4日、ヴィーン聖シュテファン大聖堂で結婚式。『親愛なお父さん!僕の愛するコンスタンツェは、僕の本当の妻になりました』、『愛しいコンスタンツェは、ザルツブルクへ旅するのを楽しみにしています』、『僕は心をこめて真剣に誓約しましたし』、『ミサ曲の半分の楽譜は、僕が本当に誓約をした、まぎれもない証拠であり、完成を待って今ここにあります』(1783年1月4日付書簡)。ミサ曲の半分の楽譜とは《未完の「ハ短調ミサ曲」》のこと。〈誓約〉の真意は、コンスタンツェと結婚成就を心から祈願し、併せて「ミサ」を教会に奉納することを誓ったという解釈が一般説である。

第三幕「ザルツブルク里帰りと奉納《誓願ミサ》」

結婚から約1 年後、モーツァルトにとって3 年ぶりの里帰りは、妻コンスタンツェを自分の父親と姉に認めてもらうためであった。

ザルツブルク滞在中、モーツァルトは手紙を全く書いてない。この期間のモーツァルトの動静を知るには、姉『ナンネルの日記』が唯一貴重な資料となる。

その日記には『10月23日、聖歌隊員養成所で、弟のミサ曲の練習。このミサ曲では義妹がソロを歌う』。『10月26日、聖ペテロ大修道院付属 教会で、弟が自分のミサをあげた。宮廷楽団員が皆な参加した』と書かれている。今で言う《ハ短調ミサ曲》が未完のまま奉納《誓願ミサ》として初演されたという日記であるが、父姉がそのミサ礼拝に参列したかどうか、演奏評価などの記事は全くない。モーツァルト《存命中に演奏》されたヴィーン時代唯一のミサ曲である。

上記『義妹がソロを歌う』に関しては、妻が立派に歌ってもらうためのソプラノ練習用に、「歌唱声部のためのソルフェッジョ」〈わが愛しのコンスタンツァのために〉K.393が用意された。

ミサ奉納が終わったその翌日、モーツァルト夫妻は、何故か、早々とザルツブルクを後にリンツへと旅立ったのだ。

表題「いと高きところに栄光、地には平和を」は本日演奏の合唱曲「グローリア」の歌詞和訳の一節であります。

(文・神谷一夫)

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