― 定期演奏会の記録 ―
プログラム・曲目紹介
- 序曲(シンフォニア)
第1部 予言・降誕
- アリオゾ(テノール)「わが民を慰めよ」
- アリア(テノール)「もろもろの谷は高くせられ」
- 合唱「こうして主の栄光が現れ」
- レチタティーヴォ(バス)「万軍の主はこう言われる」
- アリア(ソプラノ)「その来る日には、だれが耐え得よう」
- 合唱「レビの子孫を清め」
- レチタティーヴォ(アルト)「見よ、おとめがみごもって」
- アリア(アルト)と合唱「よき音信をシオンに伝える者よ」
- アリオゾ(バス)「見よ、暗きは地をおおい」
- アリア(バス)「暗やみの中を歩んでいた民は」
- 合唱「ひとりのみどりごが、我々のために生まれた」
- 田園交響曲(シンフォニア)
- レチタティーヴォ・アリオゾ(ソプラノ)「羊飼いたちが夜」
- レチタティーヴォ(ソプラノ)「御使かたり言う」
- アリオゾ(ソプラノ)「たちまち千万の天使ら」
- 合唱「いと高さところでは神に栄光があるように」
- アリア(ソプラノ)「シオンの娘よ、大いに喜べ」
- レチタティーヴォ(アルト)「その時、めしいの目は開かれ」
- アリア(アルトとソプラノ)「主は牧者のようにその群れを養い」
- 合唱「彼のくびきは負いやすく、彼の荷は軽い」
第2部 受 苦
- 合唱「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」
- アリア(アルト)「主は侮られて人に捨てられ」
- 合唱「まことに主はわれらの病を負い」
- 合唱「その打たれた傷により、我々は癒された」
- 合唱「われらはみな羊のように迷って」
- アリオゾ(テノール)「すべて彼を見る者は彼をあざ笑う」
- 合唱「彼は神に身をゆだねた」
- レチタティーヴォ(テノール)「そしりが彼の心を砕いたので」
- アリオゾ(テノール)「彼にくだされた苦しみのような」
- レチタティーヴォ(テノール)「彼は生けるものの地から絶たれた」
- アリア(テノール)「あなたは彼を陰府にすておかれず」
- 合唱「門よ、こうべをあげよ」
- レチタティーヴォ(テノール)「神は御使たちのだれに対して」
- 合唱「神の御使たちはことごとく神を拝すべきである」
- アリア(アルト)「あなたはとりこを率い、高い山に登られた」
- 合唱「主は命令を下される」
- アリア(ソプラノ)「ああ麗しいかな、良き訪れを告げる者の足は」
- 合唱「その声は全地にひびきわたり」
- アリア(バス)「なにゆえ、もろもろの国びとは騒ぎたち」
- 合唱「われらは彼のかせをこわし」
- レチタティーヴォ(テノール)「天に座する者は笑い」
- アリア(テノール)「おまえは鉄の杖をもって彼らを打ち破り」
- 合唱「ハレルヤ」
第3部 復活・永生
- アリア(ソプラノ)「私は知る、私を贖う者は生きておられる」
- 合唱「死がひとりの人によってきたのだから」
- レチタティーヴォ(バス)「ここで、あなたがたに奥義を告げよう」
- アリア(バス)「ラッパが響いて」
- レチタティーヴォ(アルト)「そのとき聖書に書いてある言葉が」
- 二重唱(アルトとテノール)「死よ、おまえの刺はどこにあるのか」
- 合唱「しかし感謝すべきことには」
- アリア(ソプラノ)「もし神が私たちの味方であるなら」
- 合唱「ほふられた子羊こそは」〜「アーメン」
オラトリオ『メサイア』曲目解説
「メサイア」は、今日では宗教音楽の傑作として大変有名で、中でも合唱曲の最高傑作として「ハレルヤ」を知らない人は殆どいないでしょう。
しかし、その成立の過程を考えれば、純粋な宗教音楽とは、一寸違う面があるのです。1740年12月と1741年1月に初演した二つのオペラが相次いで大失敗に終わったヘンデルは、ドイツ帰国を真剣に考えていました。これらの作品は、ロンドンにおける彼のイタリアオペラ活動の30年間を総決算すべく作られた力作でしたが、ヘンデルに対する長年にわたる妨害と、度重なるオペラの興行失敗からくる経済的な破綻から、彼は、精神的にも肉体的にも疲労のどん底で、健康をも害していました。
これを見かねた台本作家ジェネンズは、新しいオラトリオを企画してヘンデルに勧めました。それを、受難週間に休みになる劇場で上演すれば、歌手もオーケストラも使えるし、オペラなら必要な舞台装置や大道具の費用などが節約でき、作曲者の収入も保証できると言うわけです。ヘンデルは、大いに意欲をそそられ、第一部を7日間、第二部を9日間、第三部を6日間という異例の速さで作曲しました。これが「メサイア」なのです。
全能の神・救世主を題材とする音楽を、劇場で劇場の歌手達によって上演するということで非難されましたが、初演以来大成功で、ヘンデルが生きている間に73回も演奏されたという記録が残っており、ヘンデルの死後も、モーツァルトを始め色々な人の編曲もあり、世界中で演奏され、「誕生」「受難」「復活」という見事な構成と沢山の名曲が含まれていることで、オラトリオの最高傑作として認められています。
最近、オリジナルな編成で演奏される機会が多くなってきましたが、ヘンデルは上演の度にその時の状況に応じて何回か曲を入れ替えており、どの形が彼の理想であったかははっきりしません。日本での大抵の上演では、色々な版を混ぜて、ソリストのバランスを良くしたもの(ヘンデル自身は一回も演奏しなかった組み合わせ)が使われますが、今日は、ヘンデルが亡くなる直前に演奏した1759年版で演奏します。聞き慣れた声種と異なるパートのソロだったり、聞き慣れたものより短いものもありますが、カウンターテナーを使わないことと、合唱が全曲あること、そして、ヘンデル自身が考え実行した組み合わせを再現するという目的のために、ソリストのバランスが片寄ることに目をつぶることにしたわけです。(普通よりソロが多くなってしまったソプラノの佐橋さん、少なくなってしまったバスの小鉄さん、ごめんなさい。)
劇場で演奏されたことで、教会で演奏される普通の宗教音楽とは多少異なるところがあります。例えば、レチタティーヴォの伴奏ですが、教会音楽では、最後の和音は、楽譜どおりではなく、一拍遅らせて、歌が終わってから入れるのが一般的な習慣ですが、「メサイア」では、楽譜どおりに入れます。演奏自体も劇的な要素が強くなります。
次に、演奏のテンポですが、昔の音楽は、非常にテンポが速かったのだが、時代とともに段々遅くなってきたということを、私は自分の研究結果から常々言ってきましたが、ようやく最近同じような意見が聞かれるようになり、最近の「ニューグローヴ音楽辞典」でもこのことが認められています。
18世紀初頭のイギリスでは、最も遅いテンポは、4/4拍子で、四分音譜が一分間に120個である、ということをパーセルが書いています。次の世紀初頭では約倍の遅さになるので、1759年頃には、大体その中間だったと考えられるのです。今日の演奏では、技術的に可能な限り、当時のテンポを再現するつもりです。