松戸混声合唱団 Matsudo Mixed Chorus

合唱団紹介

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設立の記(バス:森 奏)

「合唱の大曲をオーケストラと演奏することに主な目的を置く」

という大きな夢を描いた松戸混声合唱団が、平成4年1月10日に発足した。

オーケストラとの演奏となると合唱団員も百名を超える人員が必要であり、プロのソリストが加わった大ステージということになる。予算計画を考えただけでも大変なことである。何団体かを集め単発的に企画されたこの種の演奏会はまま見られるが、趣味の世界のアマチュア合唱団が単独で、しかも定期的に継続してその夢を運んでいこうというのだから、大変な決断力である。

定期的にオーケストラと共演できるアマチュア合唱団は日本中探しても、そうざらにあるものはないと思われる。

でも夢は大きい方がいい。

目的に向かっての期待もそれだけ膨らむし、到達したときの感激も喜びもそれだけ大きくなるのだから。宮沢賢治の心を知るすべもないが、ただこの出発点には、宮沢賢治のあのすばらしい銀河鉄道の情景が、どこか、ある意味で、何かが共鳴し、煌めきが感じられていたように思われてならない。

と言う事で大きな期待を乗せた夢の松混列車はスタートした。

平成4年4月10日の結団式に参加した結成団員が62名。

40名以上の団員数があればもうその合唱団は大合唱団である。結成時点で62名の参加は予想を上回るものである。

それだけ松戸混声合唱団が目的とする趣意に賛同が得られたということになる。発起人の立場から見ればこんな嬉しいことはない。自分達が描いた合唱活動の構図に同じ思いを寄せる人たちがこれだけたくさんいたと言うことであれば嬉しくない訳がない。この時点で松戸混声合唱団が目的とする大ステージの夢は決して夢ではないことが証明されたようなものである。

しかしここに到達するまでの発起人の方々の努力と決断は大変なものがあったと思われる。

その発起人は「朝倉 浩之」松戸混声合唱団団長と「長崎 弘子」同副団長である。

朝倉さんと長崎さんとは「松戸市民合唱団」で歌ったいるときからの長い付き合いである。「松戸市民合唱団」は40数年もの長い年月を過ごしてきた合唱団で、先般「全日本合唱連盟」の創立50周年にあたり多年合唱活動に貢献してきたことで同連盟から表彰されたりもした合唱団である。

アマチュア合唱団の世界も時代の移り変わりに伴い、社会、経済、文化の向上、立派な会館やホールの建設などの環境の変化と共に、合唱に対する考え方や感覚、要求や合唱団のあり方などもいろいろ変わってきている。

「松戸市民合唱団」は戦後の混乱期からやっとその落ち着きを取り戻してきた昭和28年に発足した。

ロシア民謡から始まり、メンデルスゾーンの合唱曲、日本の歌、日本民謡、邦人作曲の組曲「旅」「蔵王」「水のいのち」「都会」「島よ」「岬の墓」「光る砂漠」「北の祭」「方舟」等など、更にはオペラ合唱曲にヨーロッパ中世ルネサンスの曲などあらゆる合唱曲を時の流れと共に歌い続けてきた。

昭和54年の第11回定期演奏会には、ケルヴィーニの「レクイエム」、昭和57年の第13回定期演奏会にはフォーレの「レクイエム」などの大曲もピアノ伴奏ではあるが歌って来た。又合唱コンクールにも積極的に参加もし、熱心な活動を続けてきた合唱団である。

そして平成3年5月4日にはモーツァルトの「ハ短調ミサ」を松戸市民合唱団だけでは人数不足ということで、「モーツァルトを歌いませんか」と広く一般に呼びかけ、この市民合唱団が軸となり総勢76名で指揮を江上孝則先生、オーケストラをモーツァルト・ミサ室内管弦楽団との共演で初めてのオーケストラとの大演奏会を松戸市民会館の大ホールで開催した。まだ「森のホールが建設される前のことである。

このときの実行委員長が朝倉さん、副委員長が長崎さんである。この時点ではすでに団長、副団長の胸に「松戸混声合唱団」を目的とする夢は刻まれていたものと推測される。しかし松戸市民合唱団員の中にはアカペラの曲による繊細な音とハーモニーを追求していきたいという意見もかなり多く、それらを無視した方向づけは良くないことであり、新しい合唱団の設立が余儀なくされたものである。

そして合唱活動の様々な場面で「松戸混声合唱団」の設立に向けての地道な努力が始まった。合唱団関係のあらゆる場面に顔を出し、その趣旨と理解と賛同を求めての地道な対人活動。

賛同と協力を求めての「すみだ楽友協会合唱団」や墨田区の「立花混声合唱団」、我孫子の「千代田混声合唱団」などの他合唱団との接触、新聞各紙、「広報まつど」、情報誌などによる募集記事の掲載、「第九」やその他の演奏会でのチラシ配布など、多角的にあらゆる団員募集の活動が実施された。設立スケジュールを見ると、平成3年8月「指揮者決定」、平成4年1月「結団式」となっている。

そして平成3年12月1日の第3回松戸市民コンサートによるモーツァルトの「レクイエム」の演奏会では企画、広報を朝倉さんが担当しており、、この演奏会を通じても「松戸混声合唱団」設立の趣旨について多くの人たちの理解と賛同が得られたものと思われる。

 

明けて平成4年1月10日、「ヴェルディを歌いませんか」の呼びかけに期待された「ヴェル・レク」の練習が結団日当日から始まった。

指揮は東京芸術大学声楽科卒業の「小濱 明」先生、まだ30代前半の若い清純な指揮者である。このときの練習風景が大手の新聞各紙に写真入で大きく報道されたことは感激であった。しかしその感激と同時に「松戸混声合唱団」のこれからの合唱活動に対する責任も大きなものが感じられた。

平成4年4月17日には「松戸混声合唱団」の第1回総会が開催された。

「朝倉 浩之」団長と「長崎 弘子」副団長が正式就任、平成4年度最初の1年の活動計画などが全員一致で確認された。

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